四国の名城

前々回に彦根城の事を紹介しました。
今回は若い頃に赴任していた四国での私の好きなお城「名城」を紹介します。
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まず一番には松山城。松山市街の中央に位置する勝山の山頂に築城され、市民は朝夕にその姿を見ながら暮らしていました。今では市民に親しまれるお城ですが、松山城は武備に徹した造りで装飾性は少ないのです。
しかし「城」本来の戦闘に備えた構造や配置は威厳に満ちており、そこに私は大きな魅力を感じています。
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次の宇和島城は、唐破風等を使った装飾性の高い美しいお城です。その天守閣は同年代に築城された彦根城によく似ています。一方で築城の名手、藤堂高虎による全体の配置は戦略性に富んだ構成であった様です。石垣や堀は無くなったが、250年余に渡る伊達藩の時代に造られた庭園は今も市民に愛されている。
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三番目の高知城はかの山内 一豊によって築城されました。築城者の子孫が代々続いて最後まで城主でいた例は、あまり無いと思いますが、高知城はその一つです。今一つの特徴は、他のお城と同様に県庁を始め多くの公共建造物に囲まれながら、二の丸・三の丸を始め多くの遺跡が、築城当時のまま残っている事です。古い様式を伝える望楼型の天守閣も、あまり見かけない為に、かえって新鮮さを感じる様に思われます。
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最後に丸亀城です。このお城の最大の特徴は、石垣です。三層の石垣の総高さは60Mにおよび、三の丸は一層で22Mもの高さです。そして扇型の曲線の優美さも他に類を見ないものです。
その石垣の上にそびえる天守閣は三層15Mで、現存12城の中で最小の規模です。但し、最後に天守を完成させた京極氏の影響でその様式は格調の高いもので、規模の小ささを補って余りあると思われます。
これらの名城が四国に多く残ったのは、都から少し離れていた事と、太平洋戦争の戦禍を比較的免れたお陰かと思います。私を育ててくれた第二の故郷ともいえるかの地を訪れて、懐かしい人々の人情の機微に触れたいものとも思っています。ゆっくりとした旅にしたいので、4泊5日の旅程を考えると創造工舎を退職してからの事になるのでしょうか?とすると、皆様にその時の感慨をお伝え出来なくなるのが残念ですがーーー
景山 浩道

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